GWF VOICES #5 デボラ・ヴァルトマン 。オーケストラ指揮者という仕事、その舞台裏
弁護士を夢見た女性が、世界のオーケストラを指揮するまで。音楽とともに、自分の道を歩んできたデボラ・ヴァルトマンさん。
ブラジルで生まれ、イスラエル、アルゼンチンで育ち、現在はパリを拠点に国際的に活動するオーケストラ・オペラ指揮者のデボラ・ヴァルトマンさん。
2020年には、フランスの常設国立オーケストラで初めて女性の音楽監督に就任。アヴィニョン・プロヴァンス国立管弦楽団の音楽監督として、フランスのクラシック音楽界に新たな歴史を刻みました。
そんなデボラさんですが、実は子どもの頃の夢は音楽家ではなく、弁護士になることだったそうです。
今回のGWF VOICESでは、国境を越えて歩んできたキャリア、指揮者になった意外なきっかけ、普段はなかなか知ることのできないオーケストラ指揮者の仕事、そして音楽にかける思いやこれからの夢について、お話を伺いました。

まず、デボラさんの生い立ちについて教えてください。
私はブラジルのサンパウロで生まれました。3歳の時にイスラエルへ、14歳の時にアルゼンチンのブエノスアイレスへ引っ越しました。
そして約25年前、ひとりでヨーロッパに渡ってきました。
実は、それまでの引っ越しは、母が恋愛をきっかけに移住することが多かったんです(笑)。
でも、フランスに来た時は、初めて自分自身で住む国を選びました。
ご両親とも音楽家だそうですが、子どもの頃から音楽家になりたかったのですか?
いいえ、全然!
もちろん両親が音楽家なので、子どもの頃から歌ったり、音楽に触れたりしていました。
でも、実は弁護士になりたかったんです。法律や正義というものに興味がありました。
母もオーケストラの指揮者で、自分のオーケストラを立ち上げていました。
17歳の時、そのオーケストラで演奏していた私に、母が突然「今日のリハーサル、あなたが指揮してみない?」と言ったんです。
実際にやってみたら、何かが自分の中で変わりました。
それがきっかけで、大学で指揮と作曲を学ぶことにしたんです。
指揮者のお母さまと育つというのは、どんな環境だったのでしょう?
母は本当に刺激的な人です。いつも頭の中に千ものアイデアがあるような人なんです。
母は私より20歳年上なので、私が8歳の時、母はまだ28歳。大学で音楽を勉強していました。
母が和声の課題をしたり、合唱の準備をしたりしていた姿をよく覚えています。
音楽を聴かせて「この作曲家は誰?」と聞かれることもありました。
私は全然分からないのに、弟がこっそり答えを教えてくれたりして(笑)。
私に音楽的な影響を一番与えたのは、間違いなく母ですね。
ただ、イスラエルではキブツという共同体で暮らしていて、クラシック音楽に触れる機会はとても少なかったんです。
子どもの頃にクラシックのコンサートに行ったのは、たった1、2回くらい。
14歳でブエノスアイレスに引っ越してから、ようやく本格的にコンサートへ行くようになりました。
どうしてパリに住むことになったのですか?
パリにひと目惚れしたんです!
20歳の時、ひとりで10日間パリを旅行しました。
建築、美術館、街全体の雰囲気、そしてフランスの文化に対する考え方にすっかり魅了されました。
1日に美術館を3つも回っていたくらいです。
ひとつの国が、これほど情熱を持って文化遺産を守っていることに驚きました。
特に印象的だったのが、音楽のための大きな文化施設「シテ・ド・ラ・ミュジーク」です。
その頃、私は国際的なレベルの高い教育機関で音楽を学びたいと思っていました。
候補はロンドン、ニューヨーク、ベルリン、そしてパリ。
最終的にパリを選びました。
パリへの移住はスムーズだったのでしょうか?
実は、そうでもないんです(笑)。
23歳の時、フランス語がまったく話せなかったので、いきなりパリに行くのは少し怖かったんです。
そこで、まずはバルセロナに住んでからパリに行こうと考えました。
ところが、バルセロナでは仕事も見つからず、あまり居心地もよくありませんでした。
そんな時、パリに住んでいたアルゼンチン人の友人から電話がありました。
「パリ5区のアパートを出ることになったんだけど、代わりに住まない?」と。
条件は、大家さんの子どもたちにスペイン語を教えること。
私はすぐに「行く!」と答えました。
それからわずか3週間でパリに住むことになったんです。
予定よりずっと早くパリに来ることになりました。
まるで運命のようでしたね。
フランスでは、どのように音楽の勉強を続けたのですか?
最初はエコール・ノルマル音楽院に入りました。
パリ国立高等音楽院の入学試験がその年の後半だったので、まず1年間勉強することにしたんです。
フランスでは音楽分析の方法がアルゼンチンとかなり違っていたので、個人レッスンも受けて試験に備えました。
正直に言うと、筆記試験の出来はあまりよくなかったと思います(笑)。
でも、審査員の前で自分の答案について説明した時に、何か可能性を感じてもらえたのかもしれません。
入学を認めてもらえました。
アルゼンチンではすでに指揮と作曲の両方で優秀な成績を収めて卒業していましたが、まだ十分ではないと感じていました。
もっと学びたかったんです。
ところで、指揮者というのは普段どんな仕事をしているのでしょうか?
トップアスリートに少し似ていると思います。
毎日の規則正しい生活や、厳しい自己管理が必要なんです。
そして、観客には見えない準備の時間がとても長い。
当然ですが、毎日自宅にオーケストラがいるわけではありませんから(笑)。
ひとりで楽譜に向き合う時間がたくさんあります。
最初は難しいんです。楽譜を見て、頭の中で音楽全体を鳴らせるようにならなくてはいけません。
でも、その感覚が身につくと本当に面白くなります。
楽譜を前に何時間でも座って、頭の中でいろいろな物語をつくることができるんです。
私はよく、本を読むことに例えます。
本を読んで、自分なりに物語を理解し、解釈する。
そして、その解釈をオーケストラの演奏家たちに伝える。
そこが難しくもあり、面白いところですね。
オーケストラには大勢の演奏家がいます。全員をまとめるのは大変ではありませんか?
まず、オーケストラの演奏家たちは本当に素晴らしいプロフェッショナルです。
非常に高い技術を持っているので、私たち指揮者が演奏の仕方を教えるわけではありません。
一緒に音楽をつくっていくんです。
指揮者は楽譜全体を理解して、それぞれの楽器がどのような役割を果たしているのかを把握する必要があります。
そして何より大切なのが、演奏家たちとのコミュニケーションです。
演奏家が「この指揮者は自分たちの演奏を理解している」と感じれば、自然と耳を傾けてくれます。
逆に、こちらが的外れなことを言っていると思われたら、そのつながりは途切れてしまいます。
指揮者の役割は、演奏家一人ひとりが最高の演奏をできるように、そのつながりをつくることなんです。
これまでで一番幸せだった瞬間、逆に大変だった瞬間は?
一番幸せなのは、オーケストラとの間に完全な信頼関係が生まれた時です。
リハーサルでほとんど言葉を交わさなくても、お互いに理解し合えている。
そういう時のコンサートは、本当に魔法のような瞬間になるんです。
一方で、特に大変だったのはコロナ禍でした。
マスクを着け、距離を取らなければならず、コミュニケーションがとても難しくなりました。
観客がいない中で演奏することもありました。
私にとって、あの時期は本当に大変でしたね。
音楽には、人と人とのつながりが欠かせないんです。
指揮をしている時、観客の反応も感じられるものですか?
もちろんです。
最初はまだ観客が演奏に引き込まれていないな、と感じることもあります。
でも、演奏が進むにつれて、少しずつ観客の気持ちが音楽に向いていくのが分かるんです。
それは会場の静けさや、空気の変化から感じられます。
そして演奏が終わって拍手が起きた時、その拍手が本当に心からのものなのかどうかも、感じ取れるんですよ。
すでに豊富な経験をお持ちですが、今でもほかの指揮者から学び続けているそうですね。
そうなんです。私は常に、もっと成長したいと思っています。
これまでジョルジュ・プレートルをはじめ、素晴らしい指揮者たちから学ぶ機会に恵まれました。
そうした偉大な指揮者たちの世代は、少しずついなくなってきています。
彼らから直接学ぶことができたのは、本当に幸運だったと思います。
音楽には、技術だけでは説明できないものがあります。
言葉にするのが難しい、音楽の魂のようなものですね。
それを経験豊かな人から学ぶことは、とても貴重だと思っています。
今もほかの指揮者から学んでいて、マルセイユ・オペラ座で指揮する予定の『カルメル会修道女の対話』の準備にも取り組んでいます。
自分がまだ指揮したことのない作品について、経験豊かな指揮者の解釈や伝統を知ることで、音楽を見る視野が広がるんです。
最後に、これからの夢を教えてください。
音楽家としての一番の夢は、音楽がすべての人にとって必要なものになることです。
今の社会は、あまりにも視覚的なものが中心になっているように感じます。
クラシックのコンサートでも、映像やほかの芸術表現を組み合わせて、視覚的に魅力を高めようとすることがありますよね。
でも、私は音楽にはそれだけで十分な力があると思っています。
音楽そのものの素晴らしさを、もっと多くの人に感じてもらいたいんです。
もちろん、指揮者としての夢もまだまだあります!
いつか世界の一流オーケストラを指揮してみたいですね。
例えば、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とか。
夢はまだまだありますよ!(笑)
GWF VOICES 。 すべての女性に、伝える価値のあるストーリーがある。
Débora Waldman (デボラ・ヴァルトマン)さんオフィシャルサイト deborawaldman.com
編集注:この記事はフランス語で行われたインタビューをもとに、読みやすさを考慮して日本語に翻訳・編集したものです。




コメント